朝5時起き。
昨日とは打って変わり、寒すぎてあまり眠れず。
寝袋2枚の上にデールとレインコートをかけても寒いからこれ以上はどうしようもない。
昨日の残ったご飯が入っている鍋に急いで川で水を汲んで辛ラーメンをぶち込んで沸騰させる。
テントの中が蒸気で暖かくなって、辛ラーメン雑炊を食べてやっと体の震えが収まった。
ジョナはほぼ完治しているし、俺の足も限界に来ているから今日はジョナに跨って出発。
日が昇ってくると今度はめちゃくちゃ暑い。
標高が高くて湿度が低いから砂漠のような寒暖差なんだろう。
少し進むと昨日よりも大きな森が多い印象。
山賊を警戒して森を迂回する為、草原と森の境を通るようにした。
しばらく進むと森の中から「こんにちは!」と大きな声がしてそっちを見た。
近くにゲルもないのに、黒セーターにジーパンという普通の格好の30代後半くらいの男が一人だけで歩いてきた。
周りには馬も車もない。
警戒して少し距離をとって馬上から話していると「この近くにうちがあるからお茶でも飲んでいきなよ」と言われた。
お酒に酔っている訳でもなさそうなのに、ずっと落ち着かない様子だし、人相的にも悪そうな感じはする。
今まで断ったことがなかったけれど直感がまずいと言っていたから、急いで馬を走らる為にあぶみで腹を蹴った。
馬が走り始めたその瞬間、男が急に走って近付いてきてジョナの手綱を捕まれてしまった。
「急いでいるから今日は厳しいんだ。離してよ」と伝えてみても、男は無言で強引に森の中に進み続ける。
心拍数が異常に上がるのを自分でも感じて、なんとか落ち着けるように意識をしながら、男に気付かれないように、ジャンパーの胸元にあるナイフをすぐにでも出せる状態に準備する。
この先に仲間がいるかもしれないし、今のうちにこの男の太ももを刺して逃げるべきか。
もし相手が銃を出そうとしたら首を切る覚悟もしないとこっちがやられる。
でもそんなことしたら、一生後悔するんじゃないか、他に選択肢はないのか。
山賊の話を聞いてから、頭ではシミュレーションは何回もしていた。
人を刺す覚悟はできていたつもりだったけれど、その場になってやっとまだ覚悟が固まっていないことに気付く。
森に近づくなと言っていたお母さんの「山賊に殺されても森の中に埋められて絶対に見つからない。オオカミにでも食べられたんだろうという話で片付いてしまう」という言葉がふいに脳裏をよぎる。
かなり森の奥深くまで入ったところで急に男が立ち止まり、俺の乗っている馬の前に乗ろうとして来た。
なんとか男の頭を手で押さえて阻止。
今度はクロと繋いでいるジョナの首にあるロープをほどこうと試みるも、それも手で引きはがして阻止。
と思った瞬間、馬上から一気に引き刷り降ろされて男が馬乗りになった。
完全にマウントを取られて、両手で強い力で首を絞められる。
かすれ声で「金が欲しいのか?」と聞いたら、男はゆっくり首を横に振った。
男は全体重をかけて首を絞めにかかった。
この体勢だと相手の顔が良く見えるのだけど、人間ってここまでどす黒い瞳になることがあるのかというくらい真っ黒な感情をむき出しにした目をしている。
相手の指を剥がそうとなんとか掴もうとするけれど、体力も元々限界に来ていたこともあってなかなか掴めない。
少しずつ薄れていく意識の中で、「意外と人生ってあっけなく終わるもんなんだな」とか「いきなり連絡が取れなくなったらみんな心配するだろうな」とか「まぁやりたいことは大体やれた人生だったな」など自分でも意外なほど冷静に考えていた。
しばらくそんなことを考えていると、急に今まで出会った人たちの顔が瞬間的に何人も浮かんできた。
仲が良い人だけじゃなくて、今まで完全に忘れてた中学の時の先輩とか世界一周中に会った靴屋のおじさんとか、なんでこの人がでてくるんだ?って人がたくさん出てきて、ほとんどの人は微笑んでいる。
これが俗にいう走馬灯ってやつなのか。
つづく